高齢者認知症と金融

認知症患者、資産200兆円に 30年度 マネー凍結懸念、対策急務

8/25 日本経済新聞にこのような記事がありました。高齢者を中心に進む認知症患者、彼らが保有する金融資産が、本人の意思確認が困難なことから投資や解約、出金にいたるまでの投資行動が凍結されてしまうことについて書いています。

記事では主に、認知症患者である親の治療費や施設費用を患者名義の口座から引き出せない実態や、成年後見人制度の使い勝手の悪さなど、利用者の立場から認知症患者の課題にフォーカスしています。しかしこの問題、金融機関側にとっても非常に大きな課題となっているんです。

70歳以上の顧客の金融資産が過半に

各金融機関により多少ばらつきはあると思いますが、顧客から預かっている金融資産の半分以上が70歳以上の高齢者の資産になってきています。一方で、三菱UFJ信託銀行が公表している資料によると、年齢層ごとの認知症罹患率はこんなふうです。70~74歳で4.9%、75~79歳で10.9%、80~84歳で24.4%、85歳以上で55.5%。

金融機関が預かる金融資産の多くが高齢者に偏り、その高齢者においては上記のように認知症が進んでいるのです。なんと、85歳以上の高齢者の場合、二人に一人が認知症という状況です。

高齢者顧客との訴訟が急増

認知症が始まってきた事実を高齢者は認めたがりません。そのため、金融機関との取引に関しても、できるだけそういう素振りは見せませんし、むしろ隠そうとします。「私は大丈夫、しっかり判断できるわ」をアピールするために、積極的に営業員の話を聞いてくれたりもします。営業員にとっても認知症を見抜くことは非常に困難なのです。

取引成立。しかしその後親族が現れて、「認知症が始まっている老人に、なんでこんな取引をさせたのか。」こんな感じで訴訟が起きるわけです。それまではしっかりしていた高齢者が途端に弱気になり、「自分の意思で取引したんだ」という意思表示もしてくれず、息子、娘の言いなりに変貌してしまうのもよくあるパターンです。

訴訟においても、高齢者寄りの判断が出る事例が増加しています。ある訴訟では、争点となった金融商品取引から2年後に認知症の診断を受けた顧客に対して、「2年前の取引時点においても相応の判断力の低下があったと認めるべき」などという判決もありました。遡ってアウトってなんだよ、と当時は思ったものです。

「泣く子と地頭には勝てぬ」と言いますが、金融機関にとっては「泣く子と高齢者には勝てない」が常識になってきています。

ビリヤード プールバー

若い頃ビリヤードにハマッてました。自分のキューを2本持ってるっていうレベル。ボーラードでアベレージ200点程度は出していました(ちょっと専門的過ぎ)。といっても30年近く前の話ですから、今はもう、って感じですけどね。先日、久しぶりにビリヤードしてきたもので、この更新です。

将来の夢

夢って、この歳になっていまさらなんですけどね。自宅にビリヤード台を設置することなんです。もちろん今のところ実現してません。仕事に没頭し始めて以降は、ビリヤードすらできなくなってましたから、ずっと想い続けてきた夢とは言えませんね。

ビリヤード台

ビリヤードって、実はかなりリッチな趣味なんです。特に都会では。室内でこれだけ特殊な条件を必要とする趣味は、なかなかないんじゃないでしょうか。

まずは、ビリヤード台のサイズ。290cm×160cm。意外にデカイです。加えて、台の周りでキューを使って玉を撞くわけですから、周囲にもスペースが必要になります。調べてみると、590cm×460cmのスペースが必要らしいです。な、なんと、約17畳の部屋が必要。日本の住宅事情ではこの必要スペースは致命的ですよね。

次に、台の重さ。グランドピアノよりも重くて、400kgもあるんだそうです。テーブル(玉が動く盤面のこと)のラシャ(クロス)の下に、3枚横並びに敷き詰められている石板の1枚の重さは約100kgで、これを3枚使用しているので石板の重さだけで約300kgになるとのこと。(以上、千葉市のニューアートさんのホームページから引用させていただきました)

あらためて、自宅の設計図見てみましたけど、LDKあわせて21畳。キッチン除いて全部使用してやっと、って感じですね。あくまで計算上のお話で、こんなこと家族が許してくれるはずもありません。やっぱ、夢ですね。

それでも夢、妄想?

自宅が無理なら人里離れた田舎に古民家でも買って、週末だけでも落ち着ける場所、なんてのはありかもしれません。ちょうど空き家が全国レベルで問題になっているこの頃ですし、これはありだな。かっこよく言うと別荘ですが、見映えは関係なし。スペースだけ確保できれば良い訳で。

第二の人生の夢として、マイビリヤード台、あらためて目指してみようと思います。早速古民家、空き家、探しましょう。

 

仮想通貨のはなし

ビットコイン

ビットコインやブロックチェーンについて、いろいろと調べました。今からちょうど1年前、ビットフライヤーで1ビットコインが30万円で買えた頃のお話。金融庁検査で指摘を受けた取引所ですが、今日はそのへんは置いときます。

仮想通貨がこのあとどうなっていくのか、いろいろ勉強していたときに身の回りにいる銀行員たちの反応が非常に面白かったことを覚えています。「仮想通貨は通貨じゃない」、「あんな投機の対象が通貨に取って代わるなんてありえない」、とまあ皆懐疑的どころか完全否定。というか、ろくに知識もないままに相手にしていない感じでした。言っておきますがこの人たちメチャメチャ頭良い人たちです。

日本の金融を自分たちが担ってきたという自負のある人たちですから、訳の分からない仮想通貨なんて、視界にも入ってこなかったんでしょうね。

法定通貨の歴史

日本の法定通貨は円です(当たり前ですね)。紙切れに福澤諭吉を印刷した紙幣が1万円の価値があると日本人は思っています(これも当たり前です)。何を当たり前のことをと思われるかもしれませんが、実は国家が中央銀行を持ち、国の経済をコントロールし始めたのは、つい最近のことなんです。日銀の開業は1882年(明治15年)です。ついでに、金本位制の崩壊により金の裏付けがなくなった、本当の意味で国家の信用だけで通貨が成り立ったのは1930年台になります。今から90年ほど前ですね。

どうでしょう、実は今私たちが使っている円という通貨、意外に歴史はないんです。他の国でも似たり寄ったりです。このような通貨であったり、通貨を前提とした金融や経済の仕組みですよ、未来永劫安泰と考えるのってむしろ変じゃないですか。

行き詰まる銀行のビジネスモデルとお金の概念

金利の低下だけではなく、資金調達手段や決済方法の多様化など、銀行のビジネスモデルが行き詰まっています。そこに現れた仮想通貨。自分たちが戦っている土俵そのものが壊れるなどとは全く思ってもいない銀行員たち。

先ほどの彼らとの会話の中で、まさに金融、経済の世界が代替わりする、新しい時代が押し寄せてきている、と感じたものです。

あれから1年。そのとき感じた予感はどんどん現実のものになってきています。想像してみて下さい。国ごとに通貨があってそれらを為替レートで連結している現在から、世界中でどこでも使えるお金への進化。なんかこれ自然な感じがしません?仮想通貨についてはまた取り上げるつもりです。

働き方改革より働かせ方改革

顧客第一から従業員第一へ

「顧客第一主義」の記事でも書いたように、もう顧客第一はもう一旦終わらせましょう。代わって従業員第一主義はどうでしょう。

常々思っていたのですが、会社に大事にされていると感じていない社員が、お客様のためになるサービスの提供って出来るんでしょうか。金融庁が言う顧客本位のお仕事ですよ。

お客様のためには頑張ってサービスを提供しなきゃいけない。会社からは数字を求められるだけで報われない。こんな状態で従業員は板挟み、どんどん傷んでいく。日本の会社って今こんな感じじゃないですか。

英国でも従業員重視に

英国でもコーポレート・ガバナンス・コードが「従業員重視」に改訂されるというニュースもありました。ここでのお話とは若干違うような気もしますが、日本では早く従業員を重視する経営に取り組むべきだと思います。

物言う株主より従業員への還元

欧米から持ち込まれる形で日本でも物言う株主が次第に勢力を付けてきましたが、これもどうなんだかなぁって思います。従業員だって同じく立派なステーク・ホルダーでしょ。

会社に大事にされていると感じる従業員はきっといい仕事するでしょうし、顧客に対しても会社を代表した日本らしい対応をしてくれると思うんですが。。。

日本企業の内部留保が過去最高額を更新中とか言いますよね。がんがん成長している段階の会社であれば投資先がいくらでもあるでしょう。それがなくなってきたのが、今の日本の大企業。投資する先がなく、物言う株主にかき回されるくらいなら、従業員に還元するべきじゃないですか。

コーポレート・ガバナンスや投資の世界では「ESG(環境、社会、統治)」なんて言葉が流行ってますが、これにもうひとつE(employee)足しませんか。働かせ方改革ですよ。

顧客第一とか、、

超人気の企業理念

お客様第一であるとか、カスタマー・ファーストなど、表現の仕方はいろいろあるものの、この考え方を企業理念に盛り込んでいる会社は、日本企業の7割以上に上るんだそうです。

しかしながら、これを本気で進めている企業はどのくらいあるんでしょう。進めているつもりなんだけど実現しない、という企業も多いと思います。

かけ声と実体の乖離

企業トップは本気でやろうとしているみたいだけど、現場は、「そうは言っても収益あげるためにはそんな綺麗事ばかり言ってられない」ってのが本音。経営と現場の間にそもそも乖離があるんですね。経営が現場のことを知らないケースです。

もっと酷いのは、「現場のことも十分分かってるよ、けどこの時代、企業理念の一角にこれを掲げておくのは対外的な常識なんだよ」なんてのもけっこういるんじゃないかな。

顧客第一を掲げながらも、その具体策が示されないから、現場がついて行けないケースも多いと思います。私が以前勤めていた会社もこの部類でした。基本プッシュ型の営業なんだけど、どういう提案の仕方が良いのかを会社が示さないんですね。で、今月はこの商品で行くぞーのかけ声。そりゃ無理ですよね。

そもそも顧客第一は日本の文化に馴染まない

私自身、以前から顧客第一って日本で必要なのか?という疑問を持っていました。現場は言ってることと、やってることの間で板ばさみ。現場を苦しめてるだけのような気がします。日本には「お互い様」という文化があって、近江商人の時代から三方よしという考え方もあったじゃないですか。という程度の思いでしたが、このことについて、榎本博明先生が見事に説明してくださっているのを見つけました。

「CSという概念はそもそも欧米の「自己中心の文化」に対する処方箋だった。日本では、もともと顧客の立場に立った対応が行われており、顧客に対するときに限らず、感じ悪くならないように、気分を害さないようにと、常に相手の気持ちや立場を気遣いながらやりとりしている。だから、CSや顧客第一主義は日本人には不要だったのだ」と仰ってます。とっても納得しました。

詳細については、ビジネスジャーナルに掲載された「人と社会の役に立つ心理学/榎本博明」を是非お読みください。