KYB タワーマンションの建設

国土交通省がKYBに対して交付した指示書

KYBによる不適合品等を使用した建物の公表が続いていますが、やはり今のところ住居、つまりマンションについては公表されませんね。住民全員の同意を取るんですかね、そりゃ無理というものです。公表されることによる資産価値の低下は深刻です。

国土交通省の指示書なるものがKYBに交付されています。6項目の指示内容が書かれていて、その中で初めて知ったのですが、大臣認定の基準に不適合なオイルダンパーの供給先には、東洋ゴムによる免振ゴム不正事案に係る建築物もあるようです。東洋ゴムの関係者と連携を図り丁寧に対応するよう求めています。

自分の住んでいるタワーマンションの最下部にある免振装置。免振ゴムも免振オイルダンパーも不適合品と聞かされた住民の心境ってどんなでしょう。これは痛すぎます。

新規建設のタワーマンションへの供給ストップ

週刊東洋経済で「マンション絶望未来」などというショッキングな特集をやってました。その中でKYBのお話が出ていましたのでちょっと取り上げます。

既存のタワーマンションにおける問題とは別に、この記事は新規建設のタワーマンション着工に影響が出始めたという内容です。そりゃそうですよね、不適合品等の正規品への交換を宣言し、新規のオイルダンパーの受注を停止しているんですから。以前の投稿でも指摘した通りです。

免振・制振オイルダンパーのシェア第2位の川金コアテックも同様に改ざんを公表し、供給を止めているようですから、製品調達はなおさら深刻になっているはず。国土交通省の動向についても少しだけ触れてましたが、「オイルダンパーを用いない工法の周知などを検討しているが、今は業界へのヒアリング中」という間の抜けた回答だったようです。

新規受注の停止は少なくとも20年9月まで

東京オリンピックを迎えようとし、大阪でも万博開催に向けた特需が発生するというのに、2年間新規供給ストップは痛すぎるというもの。KYBだけにやらせるから2年間であって、もっと他に力があれば短期化できるでしょう。不適合品の取り換えと並行して新規供給だってできないことはないと思うんですが。

KYB自身も、新規受注を早期に再開できるよう、製造ラインを増設するなどの対応をするべきです。国土交通省も口先だけじゃなく、正規品の供給を速やかに再開させるため何ができるか、本気で検討してもらいたいところですね。

大学と地銀に共通する衰退していく側の論理

週刊東洋経済のコラムで面白い話を読みました。コラムのタイトルをそのまま使わせてもらってます。筆者があるパーティーに参加した際のお話で、「国立大学の学長と地方銀行の頭取が、あいさつでまるで同じことを言っていたので、思わず苦笑してしまった」との書き出し。

大学と地銀、一見全く関係のなさそうな業種ですが、この書き出しを読むだけで、その場の様子が想像できませんか。政策によって推進され、一時はかなりステイタスの高い企業、組織になっていたと思われます。別に業界の中に熾烈な競争があったわけではなさそうで、気が付いたら、「近所のご同業と統合されたらいかがですか」と肩をたたかれている。そんな共通点が思い浮かびます。

また、筆者は二人の話の共通点について、「守りの姿勢」と「行政の介入を拒む姿勢の強さ」もあげていました。地域特性があるから、公的な役割があるから、自分たちは潰れるはずがないと思っていたことだ、とも言っています。なかなか本質を突いたご意見でした。

武田薬品 シャイアー社買収の臨時株主総会

上記のコラムを読んだ直後、kuniにも面白い展開が訪れました。武田薬品のシャイアー買収に向けた臨時株主総会のニュースに触れたのです。12月5日に開催され、株主の2/3以上の賛成を得て承認されました。来年1月には買収が完了するということです。

非常に対照的ですよね。製薬業界も特に創薬の分野では生き残りをかけた競争が激しいと聞きます。日本企業によるM&Aとしては最大級といわれる買収劇です。kuniにはこの買収が成功するのかどうか分かりませんが、彼らは衰退していく側にはならない決定をしたわけです。

この業界には新薬の特許が切れてしまうと、途端にその分の収益が見込めなくなるという特殊なルールが存在します。当然その時期に向けて新たな収益源を探す必要があります。有望な新薬が出てこないのならM&Aでということにもなるんだと思います。が、しかしそこには社運を賭けた決断があるわけです。

今月ソフトバンクが新規公開することで話題になっていますが、ソフトバンクグループも同様です。過去にとてつもないM&Aを繰り返して、ここまで成長してきました。彼らのM&Aを支える財務戦略は凄いです。あれだけの借金をしながら、普通に企業経営ができる孫さんが凄いんですね。

冒頭の地銀や大学。後半の武田薬品やソフトバンク。あまりに対照的ですよね。で、どちらも日本を代表する企業、組織として、今注目を集めています。

日産自動車 ゴーン氏から何を学ぶか

同一人物が執行と監督の双方を兼ねる体制

ある新聞の社説で見つけたお話。日産自動車のガバナンス体制について、「同じ人間が執行と監督の双方を兼ねる体制が機能するわけはなく、ガバナンスの不備がトップの暴走を許す土壌となった」。おっしゃる通りだと思います。この新聞に限らず、異口同音にこのことは批判されています。

後の祭りですけどね

その通りなんですが、ことが起きてからなら誰でもこういう批判はできるわけです。問題はことが起きる前にどうやってガバナンスを機能させるかです。当ブログをお読みいただいている方はおそらく、監査や検査、コンプライアンスといったお仕事をされている方や興味を持たれている方が多いと思います。

ことが起こらないように、トップをけん制していくことが、こうしたお仕事されている方たちのミッションですよね。kuniもまさにそこに注力してきた一人です。今回の日産自動車の件にしてもそうですが、こうしたお仕事をされている方たち、ゴーン氏にどう接してきたんでしょう。

コンプライアンスや監査、検査のお仕事

執行サイドの推進力に対し、時にはブレーキにもなってしまうこうしたお仕事はほんと大変です。もう少しで成果を手に入れることが出来そうなとき、寸前で待ったをかけなきゃいけないような場面だってあります。じっくり話をして分かってもらうしかないんですが、これは本当に骨が折れます。

しかし、今回のゴーン氏の件、他の誰にも無理だと思われる偉業を成し遂げ、日産を復活させた立役者でさえ、一線を越えると自分自身を見失ってしまい、取り返しのつかない事態に陥ってしまうという良い教訓になりました。権力が集中しすぎるきらいのある経営者に接する際は、あのゴーン氏でさえこういうことになったんだという事例を紹介して、必要な場面では思い止まってもらいましょう。

日産自動車 ゴーン氏の事例で学ぶべきこと

まだまだ事件の全容は解明されていませんが、今のところ我々が学習したのは

  1. 権力の経営者一人への集中は危険
  2. 牽制を効かせる取締役、監査役は誰なのか(いなければもっと危険)

というところでしょうか。一般的に危険な体制ではあるものの、そんな中でもバランス良くやってきた経営者が、どのように自分を見失っていくのか。ゴーン氏が自分を見失うことになった場面やきっかけについては、このあとの報道等でしっかり押さえていきたいと思います。

ちなみに、先日の日経新聞の池上さんのコラム:大岡山通信 では、経営者にとって大事なことは後継者の育成だが、その後継者となりそうな人物が左遷されたり、追放されたりするようになると、赤信号であると書いておられました。おっしゃる通りですね。

変革には効率より柔軟性 ネットフリックスCEO

ネットフリックスCEO リード・ヘイスティングス氏のインタビュー記事からもう一つ。なかなかいい言葉だなぁと思ってしまいました。

バブル後の日本経済は効率性

1989年末に株式市場は日経平均で4万円近くまで上昇し、その後大暴落しました。この年までの2、3年あたりがバブル時代と呼ばれています。バブルを知る人もかなり少なくなってきましたが、これ以降の日本の経済は悲惨なもので、とにかく何もかもが委縮していったように思います。

何とか利益を出すために、というか生き残るために、日本企業はコストダウンに取り組んでいきました。そんな中で日本企業が最重要視したのは効率性だったのかもしれません。リード氏が指摘するように、効率性を大事にするために、社内に多くのルールと手順を作り続けてきました。効率性は良くなったかもしれませんが、柔軟性と改革を犠牲にしてきたのかもしれません。ルールや手順でがんじがらめになった日本企業は、新しい発想やイノベーションを起こせなくなってしまったように見えます。

リード氏は続けて「柔軟性と改革を大事にするのならば、社員には自由と責任を与えるのがよい」と答えています。しかし、自由と責任を与えるって、、、。なんとなく分かるような気はするものの、これは難しいかもですね。日本人は本当の意味で「自由」を理解していないと言われますしね。責任は凄く身に染みている民族のような気がしますが。

自分自身の身に置き変えてみても、与えられている責任の下で、何でも自由にやらせてもらったのって、一定の職位についてからのような気がします。スタッフの時代からそんな風に、いろんなことに自由な発想で取り組めたら。そう思うと確かに面白い組織が作れそうな気がしますよね。

百均ショップで見かける日本の自由な発想

2、30年以上効率性を追求してきたんですから、日本の企業もそろそろ自由に発想して、自由にトライしてみてもいいのかもしれません。最近百均ショップによく行くんですが、この世界は効率性を追求した究極の世界だと思いませんか。ところが同時に柔軟性やイノベーションを見せつける、世界に誇れるような商品がたくさんあります。

ただ、残念なことに商品1個の価値は100円でしかないんですよね。米国のプラットフォーマーのような、壮大な夢を描けるようなビジネスにはなりにくそうです。それでも、自由な発想ができないわけではなく、このような小さな分野に押し込まれただけです。あったら良いな、便利だな、を大きな資本に乗せてレバレッジをかけて社会を変えていくという仕掛けと、それを実行する経営者が必要なだけのような気がします。

クボタ 企業の不適切行為と顧客の要求

クボタの不正について書いた際、「顧客が不自由なく製品を使用することができる機能が担保されており、かつ、製品不良に起因する事故や故障等に関するクレームを受けていない」から、顧客が求める仕様との相違は問題ないと判断してきた。という点についての考察です。

プロの技術屋が考える製品の仕様

クボタの製品検査の不正もそうでしたが、ここ最近発覚する不正はほとんど最終消費者が使用する商品ではありません。製品を製造・提供する企業と、その製品を使用して別の製品を製造する企業との間で、あらかじめ取り決めた性能を満たしていなかったことが問題になっています。

製品を提供する側の企業は、顧客が求めている品質は、実はオーバースペックであり、当社の製品のスペックで十分に顧客の期待に応えられると思っているわけですね。そして結果的にも製品の品質に関する苦情等は一切ないと。こうした考え方はここ最近の企業の不正の共通点といっても良さそうです。

顧客がいたずらに高いスペックを要求してきたとしても、プロの技術者がそんな顧客をなだめて、これで十分だとして製品を納入する。実際使ってみると全く問題ないから、契約と乖離した検査結果、または改竄という事実が残ってしまう。

実は顧客の要求というのは、実質的に努力目標的な色合いが強かった。そんなかなりアバウトな取引慣行があったんじゃないでしょうかね。そんな気がしてしょうがないんです、最近。日本企業の専門性と製品品質の高さこそが生んだ慣行だったのかもしれません。その後、世の中で求められるガバナンスやコンプライアンスの質が高度化し、社内の誰かが、これって不適切だよね、という問題意識を持つ時代になってしまった。考えすぎでしょうか。

製造や検査だけではなく営業の問題

これらの不正の問題では、製造部門や品質管理、検査といった部門がやり玉にあがってしまうんですが、kuniは営業の問題も大きかったのではないかと思っています。クボタでも見られましたが、そもそも自社の製造能力では達成できない品質を営業が約束してしまって、取引が始まっているケースがあります。

まさに営業において、顧客に誤認を与えるようなセールストークが行われていたり、商談を成立させるため、虚偽の表示や告知なんてこともあったかもしれません。いずれにしても入り口の段階でオーバースペックな要求を呑んでしまえば、のちに製造部門に皺寄せがくるのは間違いありませんよね。

今日の更新は、かなり不適切行為を行った企業寄りで、彼らを擁護するような更新になってしまいました。