日産自動車 スルガ銀行 RIZAP

このところ、ほぼ毎週のように新たな企業の不正・不祥事が伝えられ、ニュースの主役が交代しています。今週は日産自動車がほぼ独占状態でしょうか。日産自動車に関しては、その後も新たな不正がぞろぞろ出てきてるみたいですし、まだまだ目が離せません。

カルロス・ゴーン氏、 岡野 光喜氏、 瀬戸 健氏

それぞれの企業を成長させてきたトップです。まず共通しているのは、非常に有能であり、推進力、リーダーシップのある経営者であるということでしょう。と同時に、コンプライアンスやガバナンスといった方面には、ほとんど興味を示さなかった人たちのようです。報道された事案や不祥事の形態は違いますが、基本的には三者とも同根だと思っています。

もう一つ共通しているのは、残念なことに、トップに対してけん制を効かせることができない状態。企業の権限がトップに集中しすぎていたということもあげられると思います。そのため、他の取締役や監査役が牽制を効かせることができない。で、暴走を許してしまった。まぁ、急成長する企業ってこういう傾向は強いと思いますけどね。

成長期におけるガバナンスの重要性

共通点の3つ目は、大きく成長した(成功した)直後におかしくなってしまったことです。コンプライアンスやガバナンスの効いていない企業が大きく成長する(成功する)とき、そのプロセスにおいて既に不正・不祥事が(失敗が)生まれていることが少なくありません。大きく成長するときって、多くのリスクを取りにいってるわけですから、当然と言えば当然かもしれません。

みなさんは昆虫や爬虫類とかの脱皮ってご存知でしょうか。セミの抜け殻だったら見たことあるでしょう。これらの生き物は体が大きくなったり、外形を変える時など、それまで来ていた皮を脱ぎ、成長します。企業もこれと同じだと思うんです。

企業が大きく成長する際、ちゃんとその成長したサイズや、変化した外形に適した、新たな外皮を身に着ける必要があります。この時に必要になる外皮こそがガバナンスなんです。適切なタイミングでガバナンスを一段階上のレベルに引き上げることができたかどうか。日産自動車とスルガ銀行はその機会を逸してしまったということです。RIZAPはまさに今、ガバナンスを見直そうとしているようですが、やや遅れた感はありますね。

こうやって失敗を後から評価するのは簡単です。現実にはトップの暴走を許さない、取ってはならないリスクを取らせないために、何が必要になるのか。その辺りの現場の話は次回にでも。

スルガ銀行の次は西京銀行?(続き)

以前の投稿で取り上げた西京銀行。なんかまた山口県のニュースが。なんでまた悪い予感だけが当たっちゃうのか。一部のメディアが「金融庁が西京銀行に検査着手を決定した」みたいな話が出てますね。この報道を見て当ブログに来ていただいた方も多いかと。

これまでのおさらい

  1. 8月にヨシキちゃん事件(スーパーボランティア爺さん)で周防大島が脚光浴びる
  2. 9月に富田林署から逃走した犯人が周南市で逮捕(周防大島にも滞在)
  3. 10月に大島大橋に貨物船が衝突して島全体が断水

恐れていた山口県のニュース

で、11月に山口県の西京銀行にアパートローンの実態把握のため、金融庁が検査着手を決めたとか。これで4か月連続で全国ニュースですわ。続くときは続くもんですね。もっといい話が続くんなら大歓迎なんですが。検査の結果これといった問題は認められなかった、ということになってくれれば。

と願うものの、kuniの経験からすると、既に金融庁はある程度の証拠、確信持ってるから検査に着手するわけで。。。無傷というわけにはいかないでしょうね。しかし、着手前に何でこう簡単にメディアに漏れちゃうんですか。地銀でも予告検査なんですかねぇ、最近は。金融庁も信用回復に向けてメディアでもなんでも利用したいんだろうけど。それも3連休前に。連休使って証拠隠滅やら隠蔽工作やらやんないでよ、西京銀行。

このニュースの連鎖どこまで

ここからは超飛躍した妄想。山口県のよろしくないニュース、政界につながらないかと案じてます。現在の日本の首相はご存知の通り山口の政治家です。まさかそんなね。こんなバカな話を書いたところで大外れ。っていうことで、山口関連ニュース終わりにしましょう。

西京銀行の実態を知りたくて当ブログに来ていただいた方。ごめんなさい、kuniは皆さんが知っている情報以外、何の情報も持っていません。ここまでお読みいただいてありがとうございました。

せっかくお越しいただいたので、山口県のお勧めの酒の肴をお教えしましょう。かまぼこの白銀、沖柊(おきひいらぎ)の干物 平太郎。これ、日本酒の肴に、鉄板です。ぜひ一度お試しください。

スルガ銀行 社外取締役の法的責任

当ブログでも以前取り上げた、金融庁と日本取引所グループが作成したコーポレートガバナンス・コード。上場企業に対して求めたガバナンスの教科書みたいなものです。そのなかでは、取締役や取締役会、監査役などに求められる役割等が示されていますが、社外取締役に求められる役割・責務についても触れられています。

いたるところで「社外取締役を含む取締役は」という主語が使われていることに加え、原則4ー7では、社外取締役に求める役割や責務として次のようなことが書かれています。

  1. 経営の方針や経営改善について、自らの知見に基づき、会社の持続的な成長を促し中長期的な企業価値の向上を図る、との観点からの助言を行うこと
  2. 経営陣幹部の選解任その他の取締役会の重要な意思決定を通じ、経営の監督を行うこと
  3. 会社と経営陣・支配株主等との間の利益相反を監督すること
  4. 経営陣・支配株主から独立した立場で、少数株主をはじめとするステークホルダーの意見を取締役会に適切に反映させること

社外取締役にはこれほどの役割・責務が求められているわけです。ところが、今回のスルガ銀行の「第三者委員会の報告書」では社外取締役の責任を問うていません。これにkuniは非常に違和感を持っています。

第三者委員会報告書での指摘

  • 社外取締役は個別の違法行為等を知り、または知り得た証拠は見当たらない
  • 知り得た情報は社外取締役側から主体的に収集活動をして得られたものではない
  • 本質的な問題を具体的に知り又は知り得たにもかかわらず、これを放置したといった事情も見当たらない

以上3点を抜粋してみました。唯一の情報収集機会である取締役会の席では、個別の違法行為等を知り得ることはできず、知っていたのに何もしていないということではないので、法的責任は問わないと言っているわけです。加えて、社外取締役が主体的に情報収集したという事実もないと言っています。

違法行為等の情報を知ってしまうと責任を問われる可能性があるんだとしたら、だれが進んで調査、情報収集します?なにもせず、我関せずを貫いた方が得じゃないですか。こうなると何のために社外取締役を置いているのか分かりません。先に見たコーポレートガバナンス・コードが要求する役割・責務と、第三者委員会報告書の温度差、違和感あるでしょ。

「社外取締役として主体的に情報収集した証跡は十分認められるものの、取締役以下社内の協力を得られることなく、違法行為等を知るにはいたっていない。したがって、社外取締役に法的責任は認められないと思料する。」という実態であれば納得するんですけどね。

ベンチャー企業とスタートアップ企業

先日の投稿でベンチャーとスタートアップの違いについてお茶を濁してしまいましたので、今日はそこらへんを書いてみたいと思います。

ベンチャーとスタートアップの違い

creww(日本最大級のオープンイノベーションのプラットフォーム)というサイトでサクッと説明されていました。最も大きな違いは、その企業が設定しているゴールだそうです。ベンチャー企業は中長期的に課題に取り組み、世の中の課題を解決しようとする。一方スタートアップ企業は主に短期間でのEXIT(エグジット)を目的にしているとのこと。

この他にも、「既存のビジネスモデルがベースになっているか」とか「イノベーション」がそこにあるかどうか、といった切り口で違いを説明しています。kuniが注目しているのは「短期間でのEXITを前提としている」という特色の部分です。

kuniのイメージするスタートアップは、「イノベーションとなるアイデアとそれを実現するためのテクノロジーを開発し、既存の企業に売り込んでさっさとEXITしてしまう」。そんな感じで捉えています。そうすることで、彼らはすぐにまた別のイノベーションに移っていきます。要は事業化するために必要な一連の手続きや、企業として存続させていくうえで求められる様々な要求を、快く思わない人たちのように見えるんですね。

ガバナンスの観点から考察すると

ガバナンスの観点からみるとその光景がより一層鮮明になってきます。今の上場企業を見ていると、コンプライアンスや株主対応を中心とするガバナンスに相応の労力を割かれ、本業がお留守になってしまっているような。攻めのガバナンスが欠如した、サラリーマン経営者ばかりになってしまっているように思います。

強いリーダーシップでどんどん攻めていく若い経営者は、コンプライアンスや守りのガバナンスが苦手。そういう人たちはさっさと事業を売り渡し、コンプラもガバナンスもバランスよくこなせる老いた大企業が譲り受ける。こんな構図になりつつあるんじゃないかと感じています。しまいに上場企業は、成長力に乏しい、存続だけを目的としたような企業ばかりになってしまいそうです。

株式公開を出口戦略と考えるベンチャーが流行ったと思ったら、さっさと事業を売り渡してしまうスタートアップが現れてきました。出口までがどんどん短期化しています。成長力のあるこれらの企業こそ、株式を公開し、コンプライアンスもガバナンスも正しく理解し、適切に実装してさらに成長していってほしいものです。

時代は自助から共助へ

11/24号 週刊東洋経済のコラムで読んだお話です。正確には「勢いを失った自己責任論、時代は「共助」再評価に」というタイトルでした。著者はホームレスの支援活動やら、年越し派遣村やらを運営されている方のようです。

人と寄り添い絆を深めながら生きることの価値

筆者は、自分の身は自分で助けるべきという「自助」から、人と人が支えあう「共助」へと時代が移ったと説きます。その最も大きな影響を与えたのが東日本大震災だとも。人を蹴落として我が道を行くよりも、人と寄り添い、絆を深めながら生きることの価値が、震災という悲惨な体験を機に再認識されたと書かれていました。

たしかに言われてみると、そうした光景というか、実際に見てきたたわけではないですが、社会現象になってきつつあるようです。子供食堂が例に挙げられていて、実は自治会が開催する子供会のようなものと言われています。kuniの子供時代はまさにそうでした。その地域のおじさん、おばさんが、皆で子供たちの面倒をいろいろ見てくれてました。

第一次ベビーブーマーの存在

第一次ベビーブーマー。戦後生まれの日本人口ピラミッドのボリュームゾーンです。彼らが日本の文化や常識を作ってきましたし、これからも作るんじゃないかとkuniは思っているんですね。彼らは今現役を引退して70歳前後だと思いますが、この世代が「共助」の文化を再生しようとしているのではないかと。

いわゆる「常識」という最も一般的とされる考え方はこのボリュームゾーンが作ってきたと言われます。そしてもう一つのボリュームゾーンがその子供たちの世代、第二次ベビーブーマーたちです。現在45歳前後ですかね。この世代も既に影響力を持ちつつあるような気がします。

SDGsだって共助のシンボル

少し話が脱線しましたが、筆者はSDGsの目標も同根としていて、貧困や不平等をなくそうという17の目標は「誰も成長から取り残さない社会を作ろう」という世界の認識だと言っています。世界の常識と日本の共助化が同期化してきたと考えているようです。

それでは、共助化が進んでどのような世の中になるんでしょう。共助の時代に育ち、貧困の中から出てきた第一次ベビーブーマー達は、まさに競争の中で物欲を満たしてきたんですよね。自助の時代を形成してきたわけです。その人たちが今度は共助。ん~、難しいですね。共助の時代で何がどう変わっていくのか。これは今後の課題ということにしておきましょう。